裸言-LAGON-
パーソナリティー
田川 ミメイ
5月19日(水)
孫の手の夢を見る。
夢の中で、「孫の手」を作っているのだった。
粘土をこねて、麺棒で伸ばして、細く切って、丸める。
先端の「手」の部分がうまく出来なくて往生したけれど、それでも出来上がった孫の手は、
つまむとやわらかくて、でも芯があって、しっとり湿っていて、かさこそ乾いていて、こねるとあたたかくて、
新たに触れるとひんやりしていて、まるで「ひとの手」のようだった。

あんな孫の手で背中をかいたらどんなに気持ちがいいだろう、と、目覚めてしばし夢想する。

5月20日(木)
昼休み。駅ビルの喫茶店でランチを食べ、外に出ようとすると、急な雨降り。
「今日はかんかん照りでしょう。が、油断禁物、ところによっては急な雨降り」
今朝のテレビで見た、お狐さまのような顔の気象予報士の言葉がみごと的中したのだった。
どうやらこの町は「ところにより」の「ところ」であったらしい。

油断せず傘を持ってきてよかったよかった、とビルの出入り口で手提げ袋の中を探っていると、
すぐ目の前で少年が折り畳み傘と格闘中。
年の頃は、5つか6つ。
傍らに立つ母親は乳母車に透明の幌をかけるのに懸命で、
お兄ちゃんであるところの少年は、折り畳み傘を開く大役を仰せつかったところらしい。
薄茶に焦げ茶の格子柄の大人用の傘である。
たしかに幼子の手に余る。
畳まれた傘の骨をひとつひとつ伸ばしてみても、半周した頃には最初に伸ばした骨が又折れていて、
えいっとむりやり広げれば、半分が裏返り、食べかけの甘食みたいになってしまう。

どうにも目が離せずに、じれじれしながら見ているうちに、ふと思う。
そのぎこちない手付きからすると、折り畳み傘を自分ひとりで開くのは生まれて初めてのことかもしれない。
そういえば幼児がさしているのは、たいてい長傘。
たすき掛けした鞄から折り畳み傘をさっと出し、するする開いてぱっと差す幼稚園児なんて見たことない。
人はいったい何歳から折り畳み傘を使うようになるのだろう。
初めてひとりで折り畳み傘を開いた時のことを、憶えていないのはなぜなのか。
こんなに大変なことなのに。

あれこれ思いめぐらすうちに、少年は広げた部分を膝に挟みつつ、小さな手で残りを広げ、
どうにかこうにか傘を開いた。両手両足を使っての頭脳戦。
感動して思わず、おお、と声をあげると、傍らで見守っていた母親が、ふふっと笑う。
少年は得意満面、頬を上気させ、掲げた傘を見あげている。

乳母車を押しながら仲良く傘におさまる母子を見送り、なんとはなしに意気揚々とした気分になって、
折り畳み傘をぱんっと勢いよく開いたら、骨が一本くにゃりと曲がった。
どこかに引っかけたまま、むりやり開いてしまったらしい。
そういえばあたしは折り畳み傘を開くのが苦手なのだった。
意気消沈して、ひしゃげた傘で店へ戻る。

5月22日(土)
久しぶりに都会に行く。
こいびとと友人と3人で街を歩いていると、ふいに友人が「長靴」が欲しいと言い出した。
靴屋ではなく雑貨屋の店先にあった長靴は、花模様だったり水玉模様だったりで、カラフルで愛らしい。
せっかくだから新しい折り畳み傘を買おうかと見てみるが、あまりに良い天気なので今ひとつ気がのらず、
結局ひやかしただけで店を出る。
「遊泳禁止」の幟がはためく「海岸」と名の付く居酒屋で生ビールを飲みながら、
傘を買うのに適した日とはどんな天候の日だろうと考える。
雨降りの日に傘を持ちながら傘を買うというのも妙なものだし、
空模様が怪しい日には傘を携帯しているはずで、今日のように快晴だと「今買わずとも」と思ってしまう。
予期せぬ雨に慌てふためいて傘を買う、という日が一番自然で望ましい。
けど、いったいいつ、そんな日が?

5月23日(日)
いったいいいつ、そんな日が? と思っていたのに、今日が「そんな日」だったとは。
夕暮れにこいびとを駅まで送り、じゃあね、と手を振り外に出たら、雨が降っていたのだった。
そういえば今日は休みで寝坊したので、気象予報を見なかった。
まさに油断大敵である。

が、しかし、だからこそ今日は又とない「そんな日」。
迷うことなく引き返し駅ビルの中の傘屋に飛び込み、折り畳み傘をください、と高々に言う。
どんな傘をお探しですか、と丸顔の女主人に返されて、え? あ、その、と口ごもる。
大きめがいいですか、それとも小型、晴雨兼用、軽いもの、頑丈なもの、無地物、柄物、フリル付き。
あ、あと耳がついていて、開くとカエルになるものもありますが。
か、かえる? 少しばかり心が動くが、いやいやと首を横に振り、どんな傘が欲しいのかと自分の胸に問うてみる。
えっと、あ、そうだ、とにかく持ちやすい傘が欲しいです。

先日壊れた折り畳み傘は、柄の先が平べったい円形で、どうにも安定性に欠けていた。
ならば、と、その上を握ってみると、柄がやけに短くなり、まるで編み笠のようになってしまう。
かさ地蔵じゃあるまいし。

ってことは、持ち手が問題ね。
女主人が選んで差しだしてくれたのは、Jの字型の木製の持ち手がついた傘。
握りやすいが、折り畳んだ時には邪魔である。鞄の中であちこち引っかかるに違いない。
プラスチックの太めの筒型、握った指に沿うように畝(うね)が形成されているもの、おにぎりみたいな三角形。
多様な持ち手に感心しつつ、棚に並ぶ折り畳み傘を眺めていると、その端に小さな「手」が見えてぎょっとする。
ああ、これ? と女主人が抜き出した傘の持ち手は、まさに人の手の形。

良いでしょ、これ。握りやすいし、「孫の手」としても使えるし。どう?
孫の手? つい最近どこかで見たような。
が、ぼやぼやしていると「孫の手」傘を買ってしまいそうなので、
いえ、やっぱりこれにします、と畝のある持ち手の傘に決めてしまう
藍色の地の縁に、白銀の月が満ち欠けしながら並んでいる。
とにもかくにも買えてよかった、と、外に出てみれば、雨はもうあがっていた。
傘の絵によく似た半月が、流れる雲の合間に見え隠れ。
ほっとしたような、がっかりしたような。

5月25日(火)
朝、雨戸をあけると、きらきらと庭一面が光っている。
明け方に又強い雨が降ったらしく、草花に露が宿っているのだった。
しっとり、ひんやりした空気に、そういえば、と、先日見た夢を思いだす。
「孫の手」は夢の中に出てきたのだった。
やわらかくて、でも芯があって、しっとり湿っていて、乾いていて、あたたかくて、ひんやりしている、
ひとの手のような孫の手。

そんな孫の手が傘の持ち手なら、さぞ握りやすいことだろう。
握手するみたいにしっかり握れば、風に飛ばされることもないだろうし。
でもふいに握りかえされたりすると、やっぱりちょっと怖いかも。

考えてみれば、ひとの手のような孫の手はこいびとの手によく似ていた。
こいびとの手なら、痒いところも掻いてもらえるし、握りかえされても怖くない。
そうか、やっぱり。
こいびとの手に勝るものなし。
 
 

2010,05,26, Wednesday
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